アスリートコラム 「挑戦」Vol.1〜近江選手・佐藤選手・寺西選手〜
「それぞれの向かう道」

近江「僕が今挑戦しているのは、NFL・CFLの初の日本人選手になることです。誰も達成したことがないことで、もし達成できれば偉業になりますし、そうした挑戦を今アメフト界で僕がしないと誰がするんだということもあります。夢を目指すということプラス自分がフットボール界を背負っていきたいという責任感も持ちながら挑戦しています。」
佐藤「これに関しては近江と一緒ですね。僕も日本人初のNFL選手になることです。アメフト界を背負うということもありますが、学生時代の決勝戦(甲子園ボール)の悔しさをバネにして、大きなことを成し遂げることで、『挫折というのは終わりではなく、それを糧にしてそこからさらに偉業を成し遂げることができる経験でもある』ということを世の中に証明したいと思い挑戦をしています。」

寺西「2028年にラクロスがオリンピック種目になるといわれているんですが、その時に現役選手としてフィールドに立つということを目指しています。その時私は34歳で、現状30歳を超えてラクロスをバリバリしている人は少ないので、34歳でもラクロスの最前線を走り続けたいと思っています。それだけでなくて、結婚・出産と女性としての人生の変化を乗り越えながらも2028年を目指し、女性アスリートとしての最前線も走ることができたらいいなと思っています。」
佐藤「8年後ってすごいよね、冷静に」
近江「ラクロスがオリンピック種目になるかならないかって最近決まったことですよね?ラクロスがオリンピック種目になるって決まる前の目標はなんだったんですか?」
寺西「もともとお母さんになったあともラクロスの最前線にいたいっていうのはあったから、世界大会(4年に1度)に出場し続けるっていうのが一応目標かな」
佐藤「長く競技を続けるためにはフィジカルですよね。競技的にはどうなんですか?例えばアメフトならキッカーで40歳越えの選手もいるんです。レシーバーならどのくらいの選手がいる?」
近江「31,2歳で引退していく人が多いかな」
佐藤「てことは、あまり長く続けてられるポジションではないんだね。っていうのを考えるとラクロスはどうなんですか?」
寺西「ゴーリー(ラクロスのゴールキーパー)は30歳を超えてもやっている人は海外・日本にもいるけど、フィールドプレーヤーだと日本では結構少なくて、最前線でやっている人は本当に数人かな。でも、ワールドカップに行ったときに海外の選手で子供を連れている選手もいて、そういう風になりたいなと思ったんだよね。」
近江「世界的に見ると、何歳くらいのラクロス選手が多いんですか?」
寺西「20代後半の人が多いとは思うけど、30歳くらいのベテラン勢は各国いる感じなのかな」
近江「そしたらモグ(寺西)さんが当たり前のように日本代表になってますが、34歳で日本代表になるのはハードル高いってことなんですか?」
寺西「そうだね、ハードルは高くなると思うよ。ラクロスは走れないといけないしね。」
近江「体力面が気になるんですか?」
寺西「そうだね、そこは一番気にするところかな。あと、子供産んでから復帰するまでにも時間はかかりそうだしね!」
寺西「今までNFLにチャレンジしていた人はいるんだよね?」
近江「いますよ~レシーバーがほとんどです。」
佐藤「キッカーとレシーバーが多いね」
近江「昔はNFLヨーロッパっていうヨーロッパ組織があって、そこで日本人が活躍してアメリカの本場に呼ばれるっていうルートがあったんですけど、そのルートがなくなっていて厳しくなってますね。キッカーやQBはチームに1試合に1人しか枠がないポジションで、そのチーム唯一の一人になるためにトシキ(佐藤)はやっているんです。僕のポジションは1試合で交代も多く、1チームで8~10人くらいいるので、使ってもらいやすいポジションというところで違いはありますね。」
佐藤「キッカーは、アメフトでは本来の日本人がハンデになるようなところ(体の大きさとか身体能力)の部分では差が生まれにくいのでNFLを目指しやすいということにはなるけど、各チーム1人しかいないから世界の32番目までに入らないとNFLには入らないということになるね。」
近江「確実に言えるのはQBはまだまだ日本からNFLに挑戦するのは厳しいなと思うね。英語で支持しないといけないし、信頼がないとできないポジションでもあるので。」
佐藤「そうだね、本当に。」
「挑戦のきっかけ」
近江「オリンピックの競技になるかもしれないっていう話が出たのはいつですか?」
寺西「2018年のことだったかな!」
近江「そのニュースが出てその瞬間にその挑戦を決めたんですか?ちょっと迷いました?」
寺西「いや、迷わなかったかな。オリンピックに出てみたいと思って!観客がたくさんいる中で試合するのとかすごい好きで。」
佐藤「わかる!」
寺西「ラクロスの試合でそうなることって結構少なくて…。アメフトは東京ドームとかでも試合をするじゃない?」
近江「確かに初めてラクロスの社会人決勝を見に行った時に、少ない印象はありましたね。
近江「トシキはNFLはいつから考えてたの?」

佐藤「大学時代はそんなに考えたことなくて、なんとなく頭の片隅には置いてはいたけど、そのまま就職をして…1年目の6月に元NFL選手のマイケルがコーチとして日本に来て、その方が『NFL目指そうよ!』『サンディエゴで一緒にトレーニングしようよ』って誘ってくれたから、そこで本気で考えて挑戦を始めたかな。近江は?」
近江「僕は小学校からアメフト見て、アメフトをやっていたから、小学校の時からNFL選手になりたいなってぼんやりおもっていて。
高校も大学も留学行こうと思っていたけど時期が合わず、日本の試合に出て勝ちたいという思いが強くなって留学に行けませんでした。だんだんとNFLへの道を自分から選ぼうとしていなくなっていて…社会人でプレーをしていてリーディングレシーバーに選ばれたり、日本の中で名を上げてきたけど、『これって日本でやっていても自分の名誉として残らない』『こんなに一生懸命取り組んでるならもっと上目指したい』と思ったのがきっかけ。
そのタイミングでアスポの前田社長と出会って、CFLに挑戦できるタイミングとも重なって自分の道を進む決意をした。」
佐藤「モグさんはきっかけはオリンピックが決まったことですか?」
寺西「オリンピックを目指すっていうのを決めたのはオリンピック競技になるかもといわれ始めたのがきっかけだけど、ラクロスがもっと普及してほしいなと思うことも多くて、ラクロスが世界中で盛り上がっている瞬間が見たくて…!自分が現役の時にその瞬間に出会えたらいいなと思っていて、ラクロス界のトップを突っ走っていきたいなと思っている中でオリンピックの話が出たって感じかな!」
今回は自分たちの挑戦と、その挑戦を目指すことになったきっかけをクロストークしました。次回はその挑戦を続ける中での壁やそれを乗り越えるために行っていることについて話していきたいと思います。